青学の駅伝の歴史
青学といえば箱根駅伝でも有名ですよね。
2015年からは2連覇を果たしていますし、かなりの実力者が揃っています。
青学に入学する前から、毎年1月2日と3日に行なわれる箱根駅伝を家族で見るのが、実家でのお正月の定番の過ごし方でした。
毎年駅伝ではドラマが誕生するので、走っていない僕まで感動して涙することも(笑)
僕は部活ではなくテニスサークルに入ってますが、そこまで真剣な活動でもないですし、見ていてちょっぴり羨ましい感じもありますね。
青学の陸上競技部は、1918年に相模原市に練習拠点を作ってから、初出場は14位だったそうです。
今でこそ上位ランクの常連校ですが、昔はそうでもなかったんですね。
1976年の52回大会まで、青学チームは連続出場をしていて、その間44回には7位、45回大会では9位と大健闘してシード権を獲得するまで成長しました。
でも52回大会において、途中棄権してしまって以来、ずっと箱根駅伝からは縁が遠ざかってしまいます。
青学チームの復活!
青学が箱根駅伝で復活したのは、その後2008年の85回大会になってから。
転機と言われるのは、陸上競技部の監督に原晋(はらすすむ)氏が就任したこと。
原監督も、かつては自身も長距離選手で、中国電力の陸上競技部に入り、実業団駅伝にも出場を果たしている立派な選手です。
でもその後、5年で故障による引退を余儀なくされ、営業マンとしての才覚を表し、活躍していたとか!
スポーツも仕事もできるなんてすごい人だったんですね、原晋氏って。
その原晋氏が、母校の世羅高校関係者からの紹介を受けて中国電力を退職、青学の監督に迎えられたのでした。
そこから快進撃が始まり、85回大会ではなんと33年ぶりの出場を果たし、その時は最下位でも、翌年には8位入賞!シード権を獲得したのでした。
ここから有力選手が青学に集まりだし、2015年の91回大会では、青学史上初、往復路優勝を果たすワケです!
年末年始は実家で応援!
青学の復活劇は、原晋監督の「素人指導」が功を奏したと言われていますね。
既成概念に囚われない、遊び心や現代に合わせたトレーニング方法を組み込んだ指導方法で、選手を成長に導いたそうです。
原監督が選手を勧誘するときには、体つき以外にも、「明るくて活発なこと」も基準にしたそうです。
駅伝というプレッシャーの中、監督を中心に楽しい雰囲気で練習を重ねた結果だったのかもしれませんね。
明るさだけなら僕も入れるかもしれないけど…イヤ無理か(笑)
今年の年末年始は埼玉の実家に帰るけど、もちろん箱根駅伝は家族で見るし、TVで青学を応援するつもりです!
今までもだけど、これからの活躍も期待しているし、自分の大学からヒーローが生まれる瞬間を見逃したくないからね!